無我になる瞑想
仏教では無我を極めて、解脱する。頭の中で自分を消すと、心の中が真っ暗になる。そこは暗黒だ。静かにそこで佇む。たったこれだけで初歩的な無我の境地に至る。ここから六道輪廻に入る、解脱して涅槃に至る。これは仏教瞑想の基本だ。
日本では瞑想して、目をつぶり、雑念を消す。感情を消す。強い欲望を消す。周囲から聞こえてくる音を消す。目に見えるものを消す。思いや願いを消す。心に浮かぶいろいろなものを消してゆくと、自我が消えてゆく。このようにして、無我の境地に至る。今回は、東南アジアでよく知られた別法で無我になる。
「自分を消す瞑想」
無我とは何も考えない、何も感じない境地と思われている。それは難しい。物音は聞こえ、目を開けると明るい。感情・雑念は生じつづける。そのアプローチでは完璧な無我になるまで何十年とかかる。
ここでは、もっと簡単に無我に到達する方法を提案する。ただ『自分の肉体を消す』と思うこと。自分は今いる空間にいないと思うこと。それを頭の中で想像するだけでよい。それができると、心は真っ黒な世界の中にいて、無我になる。
肉体という外のものを心の中で消すだけでは何も効果がないと疑問に思う方もいるだろう。が、これはテーラワーダの瞑想の達人が指導するものだ。テーラワーダの僧侶は、「自分を消す」という瞑想で無我になるという。日本人はこういう簡単なこつをあまり知らない。
肉体を消すと想像するだけで、中級者の無我の境地になれる。肉体がなくなると、肉体に付随する「食欲、渇きなどの欲求」、「五感」、「知覚」、「体を動かすこと=運動」の4段階がなくなる。1石4鳥だ。肉体を消す(自分のいる空間から、自分をいなくすることを想像する)と4段階の無我を達成できる。そして、無我の「黒いエリア」に入る。
いじめられっ子が学校の教室・会社で、自分の存在や気配を消して過ごす。これは授業時間に無我の瞑想をやっているに等しい。それを堂々と自信をもって、さらに上手にやるのが、無我の瞑想だ。経験者には難しい瞑想ではない。
瞑想の方法
瞑想して、自分を消す。その空間にいないと思う。そう想像すること。
自分がいる状態
自分がいない状態
実はあまり難しくない。何度かやっているうちに、想像できるようになる。実際に、肉体を消すことはできない。そういうつもりになる。それだけでよい。
すると心の中は、自分を消す前は暗い灰色だが、
自分を消したあと
真っ暗になる。こうなると、無我の初期に達した。
いじめられっ子が学校の教室・会社で、自分の存在や気配を消して過ごす。これは授業時間に無我の瞑想をやっているに等しい。それを堂々と自信をもって、さらに上手にやるのが、無我の瞑想だ。経験者には難しい瞑想ではない。
瞑想の方法
瞑想して、自分を消す。その空間にいないと思う。そう想像すること。
自分がいる状態
自分がいない状態
実はあまり難しくない。何度かやっているうちに、想像できるようになる。実際に、肉体を消すことはできない。そういうつもりになる。それだけでよい。
すると心の中は、自分を消す前は暗い灰色だが、
自分を消したあと
真っ暗になる。こうなると、無我の初期に達した。
目前が黒いのは瞑想空間の前のほうに目が移動した。目前に黒い壁があるためだ。
正面は、普段の瞑想ではこのようにみえる。
無我になると、上の黒い部位に入る。
ここまでが無我の瞑想の基礎だ。ここまできたら、六道輪廻の瞑想や、涅槃にも行く基礎ができた。初心者はここまででよしとする。
より完璧な無我になる
肉体を消すだけでは十分な無我にならない。この後に、自分の中にある1-14段階のテーマ(対象)を消すと完全な無我になる。
自分の中にある「生理的欲求(食欲、渇き、呼吸、排泄、排尿)」、「五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)」、「知覚(言葉、分類、想像世界)」、「運動(行動)」を順に消してみよう。
その後、自分の中にある思考、社会性、空間の認識、絵やテレビを見る認知、音・言葉・音楽の認識、点滅するものを認識すること、空気、物、植物、動物などの認識を消す。自分の中にある段階5-14の認識を消す。
すると、より完全な無我になる。これは、世界と一体化する瞑想の時には重要だ。この出来が、世界との一体感の度合いを決める。これは上級者の無我の瞑想である。
より完璧な無我になる
肉体を消すだけでは十分な無我にならない。この後に、自分の中にある1-14段階のテーマ(対象)を消すと完全な無我になる。
自分の中にある「生理的欲求(食欲、渇き、呼吸、排泄、排尿)」、「五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)」、「知覚(言葉、分類、想像世界)」、「運動(行動)」を順に消してみよう。
その後、自分の中にある思考、社会性、空間の認識、絵やテレビを見る認知、音・言葉・音楽の認識、点滅するものを認識すること、空気、物、植物、動物などの認識を消す。自分の中にある段階5-14の認識を消す。
すると、より完全な無我になる。これは、世界と一体化する瞑想の時には重要だ。この出来が、世界との一体感の度合いを決める。これは上級者の無我の瞑想である。
「世界を消す瞑想」
上級者や僧侶はさらに目指すだろう。自分の思いを消そうとする。だが、自分の考えを消すのは難しい。そこで、今回も同様に、外にみえているものを消す。
自分を消すと、その空間には周囲の「世界」が残る。それを消す。自分の周囲の「世界」を消した、「世界」は存在しないと想像する。何もない暗黒の宇宙空間に自分がいると想像する。もちろん、自分の肉体はそこにない。
この瞑想をすると思考、社会、空間、絵、音・言葉、点滅、空気、物、植物、動物が消える。段階5-14の外部世界の認識がなくなる。完全に無になる。
自分を消すと、その空間には周囲の「世界」が残る。それを消す。自分の周囲の「世界」を消した、「世界」は存在しないと想像する。何もない暗黒の宇宙空間に自分がいると想像する。もちろん、自分の肉体はそこにない。
この瞑想をすると思考、社会、空間、絵、音・言葉、点滅、空気、物、植物、動物が消える。段階5-14の外部世界の認識がなくなる。完全に無になる。
僧侶はこれを鍛えたいだろう。無我をより極められる。この変化は小さく、わかりにくい。ここは難しい。実際は、黒いエリアで上のほうにゆく。
自分のいる世界を消す瞑想は「自分の肉体を消す瞑想」をしたままやらなくてはいけない。自分の肉体を消さないでやると、無我の黒いエリアから外に出る。
無我を極める
世界を消すと思っても、外は明るく感じられ、騒音が聞こえ、何か臭いがする。それらを消すのが大切。世界の光を感じる目、音を聞く耳、臭いを嗅ぐ鼻、味を感じる舌、熱や空気の流れを感じる皮膚の感覚を1つずつなくしてゆく。消してゆく。すると次第に、それら世界を感じにくくなる。
さらに外世界にある法則を消して、社会を消して、空間を消して、テレビを消して、音楽や言葉を消して、光の点滅を消して、気体を消して、大地や物、川を消して、植物を消して、動物を消す。すると、無我の最も上のほうにゆきつく。
そのあとは白い光がみえてくる。無我の最上は、動物を消したあたりだ。無我を極めたい人はそこまで到達しよう。すると、正面の黒いエリア内で段階が上のほうにあがる。無我を極めると、正面中央の部位の黒いエリアの上のほうにあがる。
ワンポイント
思考そのものが生じないようにするには、瞑想中に頭を何らかの方法で麻痺させなくてはいけない。そのために、頭の中を見えない手でおさえる。全ての瞑想の達人はそういうことをして、無我に達する。初心者はそういう技を駆使できない。が、何かを消すという行為すら、分身で頭を押さえ、分身を体から離す時がある。そういうことを頭に入れておこう。
さらに外世界にある法則を消して、社会を消して、空間を消して、テレビを消して、音楽や言葉を消して、光の点滅を消して、気体を消して、大地や物、川を消して、植物を消して、動物を消す。すると、無我の最も上のほうにゆきつく。
そのあとは白い光がみえてくる。無我の最上は、動物を消したあたりだ。無我を極めたい人はそこまで到達しよう。すると、正面の黒いエリア内で段階が上のほうにあがる。無我を極めると、正面中央の部位の黒いエリアの上のほうにあがる。
ワンポイント
思考そのものが生じないようにするには、瞑想中に頭を何らかの方法で麻痺させなくてはいけない。そのために、頭の中を見えない手でおさえる。全ての瞑想の達人はそういうことをして、無我に達する。初心者はそういう技を駆使できない。が、何かを消すという行為すら、分身で頭を押さえ、分身を体から離す時がある。そういうことを頭に入れておこう。
無我の瞑想から涅槃に至る
感覚や考えなど全てを止めると、涅槃に至るのが仏教だ。しかし、いろいろ調べると、自己を消す無我だけで、涅槃や六道輪廻へと進める。ここでマスターすべきは、自分を消すという瞑想である。
無我を極めると、正面中央の部位を1つあがる。前に進みあがる。右に進みあがる。背伸びして上がるなどの方法がある。すると、涅槃(天国)の世界に入れる。涅槃に入る瞑想は、詳しくはここ。
無我を極めると、正面中央の部位を1つあがる。前に進みあがる。右に進みあがる。背伸びして上がるなどの方法がある。すると、涅槃(天国)の世界に入れる。涅槃に入る瞑想は、詳しくはここ。
誘導瞑想
次の言葉を考える。 「日本製の力で、******を体験させてください。どうぞ。」 そして、瞑想しよう。誘導瞑想を体験できる。***には下記の数字か瞑想したいものの名を入れる。このブログをネットで見た当日のみ、体験できる。例外もある。
1, 瞑想して「自分を消してください。」と思う。目前が黒く真っ暗になったら成功。
2, 「世界を消してください」と思う。どんとん黒い深みにはまる。しだいに感じなくなる。思考も麻痺するかもしれない。
では、また
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